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風を変えるシリーズ ~健康とは何かを問い直す 健康と病気の境界を越えて~
2025.04.09Dr.ブログ
~健康とは何かを問い直す 健康と病気の境界を越えて~
昔、九州大学の教養部の学生たちに「健康とは何か」と問いかけたことがあります。その際に提出されたレポートの多くは、「健康とは病気でない状態であり、それは身体的な面だけでなく、精神的・社会的にも良い状態である」という内容でした。これは、明らかにWHO(世界保健機関)が定義する健康の説明をそのまま引用したものです。
一方で、少数ではありますが、「病気や障害があるにも関わらずとっても元気な人に出会った経験」や「病気をして初めて健康のありがたさを実感した」というような、個人的な体験を基にした意見もありました。大多数の学生の回答は、日本人の一般的な健康観を反映していると考えられます。しかし、よく考えてみると「身体的健康」「精神的健康」「社会的健康」とは何かが知りたいのに、何も語られておらず、ただの言葉の繰り返しに近いと言えるでしょう。それに対し、少数派の意見は厳密な定義には至っていませんが、彼らの「体験に基づく健康観」には、言葉ではうまく説明できない「何か」を実感していることが感じられます。
ところで、「身体的健康」とは何かと深く問い詰めても、現代医学は病気の詳細な定義を示すだけで、「病気でない状態」としか答えられません。同様に、精神医学や心理学も「精神的健康」の明確な答えを提示していません。「社会的健康」に関しては、タルコット・パーソンズの「社会的機能を果たせる状態」という定義が参考になりますが、個人の立場から見ると物足りなさが残ります。
このように、大多数の学生が示した健康観(WHOの定義を象徴とする)は、「健康」と「病気」を対立するものと見なし、さらに「身体」「精神」「社会」をそれぞれ分けて考えるという特徴を持っています。ただし、この考え方が普遍的かというと、必ずしもそうではありません。
例えば、古代の東洋(中国やインド)では、「健康」と「病気」を連続した状態と捉える一元的な考え方がありました。現代でも、トランスパーソナル心理学の分野にはそれに近い視点があります。一例として、中国の古代には「未病」という概念があり、これは健康にも段階やレベルの違いがあることを示唆しています。また、東洋医学では精神と身体を分けて考えるのではなく、心と体が一体となった「心身一如」の状態が健康であると考えられています。
もしそうならば、西洋近代医学で「健康」を統合的にかつ深く捉えることは無理かもしれません。なぜなら、もともと西洋近代医学は病気すら専門的に(言い換えれば部分的に)しか見ていないので、ましてや健康を統合的に深く理解することはとても難しいからです。したがって、WHOの健康の定義が物足りないのは、近代医学そのものの限界を示していると言えるでしょう。