BOOCSブログ

私のBOOCS

2019.11.07ブックスサイエンス

BOOCSサイエンス理事 中村 賢一

私は今、「認知症はもう不治の病ではない!」(藤野武彦著 ブックマン社 2015年刊)を読み返しています。一度読んだものをあらためて読み返すと、すごく気づかされる事が多いのには驚かされます。
著者は言います。「認知症」と「不登校児」の問題が、世代は離れていても同根であり「いきいき老人」も「いきいき子ども」も同じ源から発するものである。いきいき元気になる道筋とは特別なことではなく、「遊ぶ=夢中になって我を忘れる」という新たな方程式が「いきいき老人」「いきいき子ども」そして「認知症から復活する患者さん」からうかがえる(エピローグから)と述べています。
この認識に至ったのは1991年BOOCS法を提唱以来みてきた数知れない臨床例から確信されたものなのです。逆に言えば認知症という文明の病を克服するためには、この夢中になって「我を忘れる」ことからスタートすることが大切だと藤野武彦氏は言っているのです。

私は小さな朗読サークルをやっています。また少し規模の大きい朗読劇団にも参加しています。メンバーは全員が70歳以上で最高齢は87歳、全て女性です。これだけでも興味深いのですが、この女性たちが自分ではない何者かになろうとする時、その想像力のたくましさを発揮します。うまい下手というのは所詮人間の価値観であってほぼどうでもよいのですが、想像力のたくましさはその人の生きる力であり、人間の根源だと女性たちの個々の表現が物語っています。
ということは人間いくつになってもたくましく生きる力で満ち溢れている「存在」だということです。「いきいき老人」が、ここにいます。

この連休中、私は4歳になる孫娘と付き合ったのですが、尽きることのない孫娘のエネルギーに私はヘロヘロになってしまいました。しかし公園から公園へ遊具から遊具へ今を遊びつくす彼女の何というか今熱中していたものを簡単に捨てて次へ乗り移るという自在さに、つまり観念や思い込みのなさに、ある感動すら覚えて己のつまらないこだわりに気付かされた日々でした。「いきいき子ども」が、ここにいます。

藤野氏は言います。「いきいき老人」と「いきいき子ども」と「認知症から復活する患者さん」とは同根の自在さがあるのではないかと。この認知症の患者さんは、真に人間らしい時間に向かう復活の先頭ランナーではないかと・・・。
私はようやく気付くのです。「文明の病認知症」は、医療への過大な信仰と病という言葉にまつわりついた恐怖と不安とが私自身の中で増幅して巨大で忌まわしいものにしてしまったのだと・・・。つまり観念として持ってしまっていると今は思っています。とすれば私は何をしていったらよいのでしょうか。

一般社団法人BOOCSサイエンスをベースにして私は何ができるのでしょう。
みなさんと共に私は何がしたいのでしょう。はっきりしていることは、自分の仕事と生き方をつなげようとする方たちと出会う場をBOOCSサイエンスとして設定して継続したいという事と、プラズマローゲンを有効活用して、認知症カフェをやりたいという事です(既にこの活動は仲間と共にスタートしています)。

最後に私事ですが、この3月と4月に大事な友を続けて二人亡くしました。二人とも若いころ所属していた同じ劇団の仲間ですが、以来ずっと親交がありました。一人は日本有数の舞台美術家となり新国立劇場でヘンリー六世の舞台を担当するなど輝かしい歩みで紫綬褒章をもらいました。仲間の誇りでした。悪性リンパ腫でした。もう一人は無名の俳優を生涯貫きました。結婚もせず、死後10日以上たって発見されました。孤独死でした。死因は分かりません。二人とも飲んだくれで寂しがり屋でした。二人の死は私にとって、とても大きなものです。今は、二人の分まで生きることだと思っています。