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エンクオリア探究Ⅰ

2020.09.10ブックスサイエンス

BOOCS法の根底にあるエンクオリア

目覚ましい科学技術の進歩により、確かに私たちは便利で豊かな社会に生きているのですが、しかしその豊かなはずの現代文明自体が手に負えないような様々な諸問題を生み出してきており、時代の変遷は極めて激しく益々複雑化するばかりで留まることを知りません。こうした過剰なストレスが脳機能の低下状態を加速化させ、多くの人々に生活習慣病やうつ、認知症等を引き起こしてきています。

このような現代人に蔓延するストレスによる脳機能低下状態の医学的研究に基づき、藤野武彦九州大学名誉教授により1991年に「脳疲労」という概念が提唱され、更に2年後の1993年には「脳疲労」の治療に役立つ具体的な健康法としてBOOCS法が実践されています。さらに2007年にはその考えに沿って「脳疲労」解消に役立つ健康食品としてのプラズマローゲンが研究開発され実用化されるに至りました。

このBOOCS法の根底には、「エンクオリア」という根本原理が明確に位置づけられており、今後この原理の医療面・教育面・経済面・産業面など各分野からの更なる探究が望まれます。その深まりと広がりの度合いに応じてBOOCS法がその真価を益々発揮し、多くの人々に健康と幸せな暮らしを齎して行く源流となることを願っています。

エンクオリアの意味と原理

ここで「エンクオリア」の言葉の意味とその原理について、いろんな機会に藤野武彦九大名誉教授によって語られた中から、その一端を私なりに探ってみることにしたいと思います。クオリアとは、ラテン語で「感じ」という意味ですが、脳科学などでは一人一人が主観的に感じる様々な「感覚の質感」というようなニュアンスで用いられています。例えば同じ赤い夕陽を一緒に見ていても、ある人は「夕焼け小焼け」の童謡のような懐かしい故郷の夕陽を感じ、別の人は一日の疲れを優しく癒してくれる夕陽を感じ、またもう一人の人は純粋に涙が出るほど感動的な美しい夕陽として感じています。つまりこの赤い夕陽の質感は一人一人異なっているのが当たり前で、その感覚そのものの共感はできてもその人自身が感じているように他の人が感じることは不可能なのです。

このように或る一つの出来事であっても、本来それぞれのクオリアは異なっているわけですから、互いの受け止めたクオリアを主張し合うばかりだと当然対立が生じ、これが感情的な対立になれば争いにもなってしまいます。そこで共に真実を探っていくには、感情に流されず相手のクオリアに寄り添い共感できる柔軟かつ円満な心境を互いに用意して行くことが必要です。そしてその探究していく過程で「エンクオリア」の実像が少しずつ見出されるのではないかと思っています。

心境は円満なお互いであるにもかかわらず、相反する多様なクオリアが決定的に異なっている度合いが激しければ激しいほど、つまり異質の矛盾したお互いが出逢えば猛烈な化学反応が起こるのです。この情況は莫大な宇宙=生命エネルギーを生み出すのか、それとも燃え尽きてしまうのかの瀬戸際です。しかしそれが「円」となり一つに繋がっていくよう互いに知恵と力と心を尽くしていくことで、健やかな幸せの根本領域である「エンクオリア」が「永遠の今」、この瞬間この空間に顕現化されるのではないでしょうか。つまり多様なクオリアが不思議な「縁」で出逢い、互に異なるが故に激しく反応し合い、そしてそれらが次元上昇し輪(円)となり、やがて豊かな富(円)をも生み出し「エンクオリア」を瞬間・瞬間、顕在化していくのです。

矛盾の境界線上を生きる勇気

具体的にはBOOCS法の三原則の中にも、「たとえ健康に悪いことでも好きでたまらないか、止められないことはとりあえずそのまま続ける。(決して禁止しない)」とするなど、矛盾を解消しない原理が組み込まれています。矛盾こそ宇宙=生命エネルギーを生み出す力だからです。

「エンクオリア」は、何処かある特定の場所にずっと固定的に存在するようなものではありませんから、自らのうちに真理に素直な自分を見出そうとする3人以上の人たちが集い、この宇宙=生命エネルギーを共有した瞬間に生まれるダイナミックな世界なのです。「真理に素直な自分を見出そうとする」といいましたが、そんなことをしようとする人は極めて少ないか、もしいたとしても次の瞬間にはもう自分勝手なことばかりを進めてしまっているものです。おそらく私たち人間は皆、宇宙からの生命エネルギーを素直に受け止める受容体である側面と、我執にまみれた自己中心の傲慢な側面を併せ持った矛盾した存在だというべきです。このような自分は、宇宙=生命エネルギーを受容できる真実の自分からは無限に遠いという矛盾に気づかされます。ここが分岐点です。この時、矛盾のせめぎ合う境界線上を生きることを面倒くさがって放棄してしまい、どちらか一方に偏って生きるほうが楽だと錯覚しがちです。例えば現実の実利を求める路線のみに走るのか、逆に現実を顧みず理想を求めて突っ走るのかといった二者択一的な生き方です。しかし思いもかけず、この矛盾の境界線上を果敢に生きる選択をしたお互いが出逢ったその瞬間、「エンクオリア」の領域に招き入れられているのではないでしょうか。私たちは絶えず自らを省みつつ、このような出逢いを求め、さらに留まることなく共に新たなBOOCSサイエンスの活動を進めていきたいものです。