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プラズマローゲン物語 (22) (23)を掲載しました。

2021.09.21プラズマローゲン物語

プラズマローゲン物語(22) プラズマローゲンの抽出に成功

2007年に馬渡志郎が純度の高いプラズマローゲンを大量に抽出することに成功したとき、ちょうど同じ頃カナダでアルツハイマー病のヒトの血清中でプラズマローゲンが減少していることが見つかった。これを境にそれまでなおざりにされていたプラズマローゲンの研究が急速に進むのである。

藤野武彦は馬渡のプラズマローゲンの抽出をドラえもんの「魔法の力」にたとえたが、実はその魔法の力には種も仕掛けもあった。馬渡がアメリカ留学中に習得した筋ジストロフィー患者の赤血球の細胞膜を取り出して健常者の赤血球膜と比較研究してきたことが「種や仕掛け」になったのだ。

当時、レオロジー機能食品研究所では、プラズマローゲン物語⑫の「困難を極めたプラズマローゲンへの道」で述べたように鶏肉からリン脂質の一種であるスフィンゴミエリンという物質を取り出して、さまざまな研究をしていた。スフィンゴミエリンは皮膚や脳に良い効果をもたらす力があるので、これを利用して高脂血症、糖尿病、アトピーに効く食品を開発していた。鶏肉にはこれだけ大量のリン脂質があるので、当然プラズマローゲンも大量にあることは推察できた。その鶏肉と赤血球膜からリン脂質を抽出作業をしているとき、馬渡は二重になっている細胞膜に得体の知れない物質があるのに気が付いた。これが藤野のいうプラズマローゲンではないかと直感したが、確証がないうえに当初馬渡は関わっておらず、それは藤野の研究なのでその時は黙っていたのである。

だが藤野からプラズマローゲンを検出して抽出する仕事を引き継いでみると、プラズマローゲンは酸や熱に弱く壊れやすい性質があるので、さまざまなリン脂質の中からプラズマローゲンだけを取り出すのは極めて困難な作業になる。取り出す以前に、鶏肉内にどれだけプラズマローゲンがあるか検出する技術が問題だった。検出する方法はあったが、数千万円の重厚長大な装置が必要で、高コストで時間も長くかかるため、効率が悪く実行困難であった。

そこで馬渡は重厚長大な装置も複雑な手順も使わずに、簡単にプラズマローゲンを測定する方法を考えた。通常の高速液体クロマトグラフィーと通常の検出器である蒸発光散乱検出器だけを使用して、プラズマローゲンを測定する方法を開発した。この高速液体クロマトグラフィーの装置はレオロジー研究所にあった。というより馬渡が福岡女子大教授時代に手に入れていた。この方法だと高速液体クロマトグラフィーに1回かけただけで、プラズマローゲンとその他のリン脂質もすべて同時に測定できた。この方法は、後に認知症患者の赤血球膜のリン脂質を測定することを可能にした。

次にプラズマローゲンの大量抽出方法の開発には、フォスフォリパーゼという酵素を利用した。フォスフォリパーゼは、通常のリン脂質は分解するが、スフィンゴミエリンとプラズマローゲンは分解しないという性質を持っている。さらに大型のクロマトグラフィーを使わずにプラズマローゲンを大量に精製するために、有機溶媒の組み合わせ方でスフィンゴミエリンだけを選択的に沈殿させる方法を開発した。これで92%と高純度のプラズマローゲンの精製が可能になった。またこの方法はスフィンゴミエリンの精製にも応用できた。

このようにプラズマローゲンを変質しないリン脂質として分離した例は、これまで1件も報告されていない。馬渡と藤野はこの方法を「プラズマローゲンと全リン脂質を1回の高速液体クロマトグラフィーにより変質することなく抽出、測定する方法」として特許を取得、研究論文にまとめ投稿し、アメリカの医学雑誌にも掲載された。これだけ簡便な方法で大量のプラズマローゲンを抽出・精製できるのは世界で初めてのことであった。馬渡はこの新しい方法の発見を「分かりやすく言うと、これまで2日かかっていた仕事を1時間でやれるようにしたもの」と説明している。

また馬渡は、この方法を使って、プラズマローゲンの高速自動測定への道も拓いた。ヒトの血漿にもプラズマローゲンは存在するが、赤血球に比べて微量にしか存在しないので、測定するにはマススぺクトロメトリーなどの高価な機械を必要としていた。馬渡はフォスフォリパーゼをヒトの血清に作用させると、通常のリン脂質は完全に分解するが、プラズマローゲンはフォスフォリパーゼの作用時間や量にかかわらず無傷でまま残ることを証明した。したがって、フォスフォリパーゼ処理後、脂質を抽出し、酵素法によるプラズマローゲンの測定法を開発できた。この酵素法は血清のコルステロールや血糖の測定にも使用されている方法と同じく、微量の血漿から比較的迅速な血清のプラズマローゲンの測定が可能になった。

いずれにしろ、プラズマローゲンの大量抽出に成功したことで、一挙にプラズマローゲンのメカニズムに関する基礎研究、動物やヒトへの応用研究が可能になったのである。

プラズマローゲン物語(23) セレンディピティー 

藤野武彦は、この馬渡志郎のプラズマローゲンの新しい抽出・精製方法の発見をフレミングのペニシリンの発見になぞらえて「セレンディピティー」的発見だという。

セレンディピティーとは「本来探しているものとは別の価値あるものを見つけ出すこと、または能力」のことをいう。その例として、青かびからペニシリンを発見してノーベル賞を受賞したフレミングの話は有名だ。1929年夏、細菌学者であるフレミングは夏休みを取る際に、ブドウ球菌のプレートを何十枚も放置したまま出かけてしまった。1か月あまりが過ぎて戻ったフレミングは、放置していたために青かびが生えていたプレートを捨てようとしたときに、青かびの周辺だけがブドウ球菌が消えて透明になっていたことに気が付いた。これこそが、青かびがブドウ球菌を殺す殺菌力を持つという大発見の瞬間である。もちろん、この偶然に気づくことができたのは、細菌に対するフレミングの飽くなき好奇心と努力の賜物であるが、それにしてもプレートを放置してしまったという行為がなかったら、この発見はあり得なかった。
フレミングの好奇心や探求心はさておき、偶然に偶然が重ならなかったら、この発見はなかった。もしフレミングが夏休みを取らなかったら、夏休み取ったとしても出かけるまえにプレートをちゃんと洗っていたら、青かびの胞子が入って来た経路の窓をしっかりと閉めていたら、窓は閉めてもプレートの蓋をちゃんと閉めていたら、と考えていけば切りがない。

同じことは馬渡の場合にもいえる。もし彼がレオロジー機能食品研究所で藤野と一緒に仕事をしていなかったら、もし彼が藤野の研究に関心を示さなかったら、もし彼が福岡女子大教授時代に高速液体クロマトグラフィーを手に入れていなかったら、もし彼がアメリカで筋ジストロフィーの研究で赤血球膜に目をつけていなかったら、そうさかのぼって考えていくと、最後は、もし彼が「九大医学部紛争」で若手医師の会の委員をやらなかったらという偶然にたどり着く。もし彼が委員を務めなかったら、答えは簡単だ。いまごろは善良で優秀な臨床医として有意義な日々を送っているはずだ。彼にとってはそのほうが幸福だったかもしれないが、プラズマローゲンの開発研究は始まらないことだけは間違いないことだった。

そしてもう一人の新たな研究者が加わることになる。