BOOCSブログ

  1. TOP
  2. BOOCSブログ
  3. プラズマローゲン物語
  4. プラズマローゲン物語 (26) (27)を掲載しました。

プラズマローゲン物語 (26) (27)を掲載しました。

2021.10.04プラズマローゲン物語

プラズマローゲン物語(26) 抗神経炎症作用と神経新生作用の発見

片渕俊彦の顕著な功績は、プラズマローゲンがアルツハイマー病の原因とされる神経炎症を抑制し、さらに神経細胞の新生を促進させる作用があることを見つけたことである。

アルツハイマー病患者の脳細胞にはアミロイドβが沈着しているということは前に述べたが、その原因は明確にされていない。最近は「神経炎症説」が有力になってきた。「神経炎症説」というのは、感染や炎症が起こると、その情報は脳に伝えられ、脳内において新たにグロリア細胞やサイトカイン、活性酸素などが生み出され神経炎症が起こり、これが種々の神経変性疾患や慢性疲労症候群、うつ病などの症状を引き起こすという説である。

またアルツハイマー病患者の脳のプラズマローゲンが減少していることも前に述べた。そこで片渕たちは、神経炎症説にもとづきマウスでアルツハイマー病モデルを作成し、プラズマローゲンの関与を検討することにした。この認知症モデルマウスの腹中に、リポポリサッカライドを注入すると脳内でアミロイドβやグリア細胞の活性化によりサイトカイン産生などが起こる。そのマウスにリポポリサッカライドと同時にプラズマローゲンを投与すると神経炎症が抑えられ、アミロイドβの沈着も抑制された。そして、リポポリサッカライドによって脳内のプラズマローゲンの量が減少するが、これは再びプラズマローゲンを投与すれば解決された。このプラズマローゲンが減少するということは、神経炎症の原因となる活性酸素などによって神経細胞が酸化されるところを、その「身代わり」となってプラズマローゲンが酸化され「燃え尽きる」ということを示している。

またプラズマローゲンは神経炎症作用を抑制するだけでなく、神経細胞死の抑制や神経細胞を新しくつくり出す神経細胞新生を促進する仕組みも実験で分かってきた。実験では、老化促進マウスにプラズマローゲンを含んだ飼料を3か月投与すると、通常の飼料を与えられたマウスより脳内の神経細胞が明らかに増加していた。培養神経細胞をつくる際に培養液中の血清濃度を低下させると神経細胞がアポトーシス(細胞の自殺的な死)することがすでに分かっている。そのメカニズムを検討すると、ミトコンドリアを介した内因性回路の活性化によりアポトーシスが起こっていることが分かった。この培養液中にプラズマローゲンを加えると血清減少によるアポトーシスが抑制された。そのメカニズムは、プラズマローゲンが神経細胞の蛋白リン酸化酵素の1つである蛋白リン酸化Bの活性を上昇させ、その結果アポトーシスが抑制されることが分かった。

さらに老化促進マウスを使った動物実験を重ね、その結果を片渕は次のようにまとめた。

「プラズマローゲンが神経新生を促進することは、老化促進マウスにおいて減弱している海馬(記憶の中枢)歯状回における神経新生がプラズマローゲンを含む飼料を3か月間摂取させると回復すること、また正常マウスに同様な飼料を与えるとやはり海馬の神経新生が通常摂取マウスより有意に増加していることなどから推測できる。さらに6週間プラズマローゲン食を与えたマウスで、モリスの水迷路学習による海馬依存性空間認知学習行動を調べたところ、通常食マウスより有意に学習記憶行動が促進していることが分かった。プラズマローゲン摂取マウスの海馬を見てみると、蛋白リン酸化酵素の活性化とともに、学習行動に促進的に作用する脳由来神経栄養因子の発現が増強しており、プラズマローゲンが蛋白リン酸化酵素の活性化を介して、脳由来神経栄養因子の転写を促進していることが示唆される。このことはプラズマローゲン摂取マウスの海馬に、脳由来神経栄養因子の発現を特異的に抑制する遺伝子操作を行うと、プラズマローゲンによる学習促進効果が消失することからも明らかになった」

これらの成果をまとめた片渕は、2014年と2015年にベルギーとロシアで行われた国際神経内科学会で発表し注目を浴びた。これまで国際神経内科学会には毎年約3万件の研究論文が報告されるが、そのうちプラズマローゲンに関する報告はわずかに3件程度だった。これからはプラズマローゲンの研究報告がもっと増えていくにちがいない、と片渕はそういう予感がした。

動物実験の次は、いよいよヒトへの臨床試験である。その前に藤野武彦は、どうしてもチームにもう1人、認知症専門の臨床医が欲しいと考えていた。藤野、馬渡、片渕の3人は有能な臨床医と基礎医学研究医であったが、実際に認知症の患者を直接診たことはない。これまでのマウスを使った動物実験はうまく乗り越えたが、臨床試験となればそうはいかない。まず認知症の患者のいる病院の選定、その病院への臨床試験への参加の依頼と説得、患者の選択と了解、いずれも厄介な問題ばかりだ。最も身近な九州大学には残念ながら認知症専門の臨床医はおらず、九大病院自体に認知症の専門病棟がなかった。どこか身近に認知症専門臨床医はいないものか。そうすれば世界でも類のない強力なプラズマローゲン開発研究チームになると藤野たちは考えていた。やがて新たな認知症専門医、山田達夫が加わることになる。

プラズマローゲン物語(27) 認知症専門医山田達夫から見た認知症 

認知症専門医の千葉大学助教授山田達夫が福岡大学医学部の教授として赴任してきた1997年当時、福岡大学病院には認知症の専門病棟も、軽度認知症を受け入れる外来窓口もなかった。そこで福岡大学は他の大学に先駆けて認知症を受け入れるための病棟と「もの忘れ外来」を新設した。

山田は東京医科歯科大学を卒業してから東北大学系病院などを経て千葉大学で神経内科医として講師、助教授のコースを歩いてきた。専門は筋萎縮側索硬化症やパーキンソン病などの難病の病理研究だったが、カナダ留学の際にアルツハイマー病の病理研究に専念し、帰国後は認知症の臨床学を専門領域とした。

病理研究のかたわら患者を診る臨床にも積極的だったが、臨床の場でいやな出来事に遭遇し屈辱感を味わった。

認知症の介護施設で、介護士から「先生たちは介護がどういうものかまったく知らないですね。介護士にとって医療は遠い存在でしかありません」と言われたからだ。医師は大学で病気の治療については教わるが、高齢者の生活については何も知らない。だから介護士が知りたい点については、何もアドバイスができない。教室で講義はやるけれど、介護施設では介護士には何も教えることができない。したがって介護士にとって医師は近寄りがたい存在になってしまう。極端な場合、介護師が医師をまったく信頼せず、自分たちで立てた方針だけで介護をやっている施設もあった。山田はカナダ留学時代、アルツハイマー病患者の遺体の脳の解剖ばかりやっていた日々を思い出すと忸怩たる思いがした。そしてこの時以来、認知症医療のためには「一刻も早く医療と介護の歩み寄りが不可欠だ、この医療と介護現場の溝を埋めることをやろう」と心に決めた。だから自分のための病理研究よりも、患者のため臨床のスキルアップに重点を置いてきた。患者の診療も大切だが、介護する人との会話やアドバイスはそれと同じくらい、それ以上に大切なことだ。

福岡大学に来てもその点は少しも変わらない。それどころか、「もの忘れ外来」を新設してからは、教授といえども患者と接する時間のほうが多くなっていた。山田の考え方は、この時点ではお互いにまったくその存在を知らぬ間柄であったが、藤野武彦の考え方に似ている。藤野は「患者さんに接していなければ今の自分はない。患者さんはぼくのテキストだ。患者さんからヒントをもらっているから、ぼくの研究は成り立つ。患者さんがいなければ研究は存在しない」という考え方だ。その藤野と山田は、やがてプラズマローゲンが縁となり意気投合する仲になるが、この時点ではまったくの赤の他人同士。その藤野や馬渡志郎や片渕俊彦に出会うまで、しばらく山田の認知症に関する考え方を述べておきたい。