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プラズマローゲン物語 (52) (53)を掲載しました。

2022.01.04プラズマローゲン物語

プラズマローゲン物語(52) プラズマローゲン研究会

プラズマローゲンの大規模な臨床試験を始めることに先立ち、藤野武彦らはプラズマローゲンの研究開発を自分たちだけのものではなく広く門戸を開きオープンなものにするため、2014年1月に「プラズマローゲン研究会」を設立することにした。その設立趣意書に藤野は次のように書いている。

「アルツハイマー病が、世界の喫緊の重要課題になったことは、日本、アメリカの状況そしてG8の認知症サミットの共同声明からも明らかです。アメリカの先行研究でアルツハイマー病患者の血液で脳内プラズマローゲン(リン脂質の一種)の減少が報告され、プラズマローゲンがアルツハイマー病の予防・治療で注目されるようになりました。我々も2003年より九州大学、レオロジー機能食品研究所で共同研究を開始し、プラズマローゲンの大量抽出・精製に成功しました。これまで不可能だった動物・ヒトへの投与を現実化すると共に、アルツハイマー病への有効性を強く示唆する研究成果を生み出しました。これまでの研究成果を公表し、研究ネットワークの拡大とさらなる研究進展を目指し、もってアルツハイマー病及び脳疲労の予防医学に関する研究の発展に貢献することを目的に、ここに『プラズマローゲン研究会』を設立します」

研究会の代表世話人には藤野がなり、世話人には馬渡志郎や片渕俊彦が名を連ねたが、山田達夫は福岡大学を辞しカマチグループのスタッフに拠点を移していたので、福岡大学医学部神経内科教授の坪井義夫と同神経内科助教の合馬慎二がその後を継いで世話人になった。

一般社団法人プラズマローゲン研究会が設立されると代表理事には九州大学名誉教授(統合生理学)の大村裕が就任した。大村裕は片渕の九大生理学教室の恩師で、脳生理学の権威の一人であった。大村は就任にあたり「この研究会は、細胞膜成分の一つであるグリセロリン脂質の中でも特異的な構造および機能をもつプラズマローゲンの生理作用を明らかにする目的で、基礎および臨床研究者によって結成されたコンソーシアムです」と語っている。コンソーシアムとは共同事業体のことで、このプラズマローゲンの開発研究がレオロジー機能食品研究所や九州大学や福岡大学だけの共同研究でなく、広く各機関に会員を募っている。また研究会の研究成果は会員に報告されるだけでなく、そのつどネットで広く公表されるシステムになっている。

研究会の事務局は福岡市の藤野の事務所に置き、藤野は同会の臨床研究部代表の副理事、馬渡は基礎研究の副理事に就いたが、他の理事には福大教授の坪井、九大生体防御医学研究所特任教授の藤木幸夫、九州工業大学大学院工学研究所教授の北村充、同准教授の岡内辰夫などが就き、顧問には公益財団法人アメリカ研究振興会理事長(元日本銀行政策委員会審議委員)の中原伸之などが名を連ね、学閥、職域を超えプラズマローゲンが全国さらに海外へ広がっていく体制を整えた。

プラズマローゲンの有効性を誰よりも実感している山田達夫は、順天堂大学医学部客員教授、一般社団法人巨樹の会顧問として、より自由な立場の理事として研究会に参加した。

プラズマローゲン物語(53) 二重盲検試験の準備 

二重盲検試験とは公益社団法人日本薬学会によると次のように解説している。

「臨床試験は、新薬などが投与される処置群と既存薬あるいは効果のないプラセボ(偽薬)が投与される対照群に分けて行われる。処置群と対照群は無差別に選出される必要がある。しかし医師がこのような処置を知り得たとき、効果が期待される患者に対して処置を実施するなどの故意が生じたり、処置をしたのだから効果があるはずといった先入観が評価に反映される可能性がある。一方、患者が知った場合も、その処置への反応、評価に影響が生じる。そのため臨床試験では、医師および患者が処置内容を知らないことが望ましい。このような試験を二重盲検試験という。二重盲検試験を実施するためには、処置群と対照群を区別しないことが前提である」

この二重盲検試験は1948年にアメリカで初めて行われたが、1970年代後半からアメリカ食品医薬品局が、新薬の許可を得るために二重盲検試験を要求するようになった。日本でも現在では新薬開発の際には二重盲検試験が不可欠だが、一般的に食品の試験で行われることはほとんどない。なぜなら多くの機関の協力、多額の予算と時間、そしてものすごい労力が必要だからだ。普通、製薬会社が1つの新薬を開発するのに「10年、200億円」かかるといわれることでもわかる。しかし藤野武彦たちの研究チームは、薬と同等に科学的な評価を得るためには重要なことだと考え、敢えて二重盲検試験に取り組んだ。

二重盲検試験を行うには数々の難問が控えている。二重盲検試験に手慣れた大手製薬会社ならともかく、医師指導型の二重盲検試験など前代未聞のことだ。それも九州大学など権威のある大学がバックに付いているわけではなく、レオロジー機能食品研究所やBOOCSクリニックという小さな民間組織の主導で行おうというだから無謀と言えば無謀なことだった。最初から藤野武彦は、九州大学に協力を依頼することは諦めていた。共同研究をしている片渕俊彦の生理学教室があるといっても、それはあくまで純粋な学問上の共同研究でしかない。何よりも九大病院には被験者となる認知症の患者がいない。それに対象が薬品でなくサプリメントの臨床試験では、医学部の教授会の承諾を得ることはどう考えても無理だった。

被験者と協力してくれる医療機関の数は多いほどよいのだが、藤野や馬渡志郎は認知症専門医でなく精神科や認知症関係の病院には疎い。そこで心強い協力者となったのが山田達夫というわけだ。山田がいなければこの二重盲検試験は成立しなかった。臨床試験では医療機関の説得がいちばんのカギとなり、依頼者と医療機関の信頼関係がなければ成立しない。さらには医療機関の医師は患者との信頼関係がなければ臨床試験の実施は不可能だ。なぜなら被験者がプラセボ(偽薬)を与えられる可能性があるのだから、よほどの信頼関係が必要になる。実施期間中、どちらが割り当てられたか書いた名簿は金庫に保管され、試験が終わってはじめて実施関係者に明らかにされる。このように二重三重の難しい条件を克服し、はじめて実施医療機関が選定される。認知症関係の医療機関に詳しく、かつ信頼が得られる人物となると山田以外にはあり得なかった。そして山田は、大学の後輩ですでに認知症の権威のひとりになっていた朝田隆を協力者として、藤野の研究チームに加えることに成功した。

こうして二重盲検試験の実施医療機関25施設が決まった。