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プラズマローゲン物語 (58) (59)を掲載しました。

2022.01.24プラズマローゲン物語

プラズマローゲン物語(58) 海を渡るプラズマローゲン

藤野武彦たちがプラズマローゲンの二重盲検試験を行ってから、各地の大学や医療機関でプラズマローゲンを使って臨床研究を行い始めたところが出てきている。

2018年からは国立精神・神経医療研究センターがプラズマローゲンとうつ病との二重盲検試験をはじめている。うつ病は、いまや国民病といえる域に達している社会的課題の精神疾患だ。国立精神・神経医療研究センターといえば日本最大の精神神経系統疾患の研究機関で附属病院を持つ我が国の精神神経系医療の権威の頂点で、その研究機能やスケールは藤野の研究チームとは比較にならない。その二重盲検試験では、もちろん馬渡志郎が開発したホタテ・プラズマローゲンを試料として使っている。

2019年1月からは、タイの病院グループで本格的にホタテ・プラズマローゲンが治療に使用される。この病院グループは元王立病院で100年以上の歴史を有すBNHグループで、最近は世界最先端医療を看板に世界各国から患者を募る富裕層向けの医療ツーリズムで有名だ。だからこのグループの医療スタッフは欧米の医師が主力で、九州大学レベルの医療水準と高級ホテル並みの居住性を併せ持っていることで知られている。この病院グループと藤野たちの関係ができたのは、二重盲検試験を行っていた頃にさかのぼる。タイのテレビ放送局が藤野たちを取材にきて、その取材結果を30分番組にまとめタイ国内で流した。
https://m.youtube.com/watch?v=rWRHygC8TnE&sns=em

それを見たBNHグループ幹部たちが数度にわたり来日、熱心に藤野の話に耳を傾けた。その後、馬渡のホタテ・プラズマローゲンと藤野のBOOCS法を使用する契約を結んだ。以来、BNHグループ病院ではプラズマローゲンとBOOCS法を積極的に診療に導入、BOOCS @ BNHとしてBOOCS外来(https://www.bnhhospital.com/medical-service/boocs-bnh/)を立ち上げた。

その後、プラズマローゲンの有用性を確認したBNHグループは国境を越えて海外に目を向け、中国、アメリカ、全ヨーロッパへと広げていく計画を立てている。

国立精神・神経医療研究センターもBNH病院グループも、藤野の研究チームとは比較にならないほどの組織力と機動力をもっている。ここまでくれば、あとは巨大な組織力と影響力を持つ医療機関にまかせておけばいいという考え方もあるだろう。しかし藤野たちは、プラズマローゲンの「発祥の地」であるレオロジー機能食品研究所とBOOCSクリニックそして九州大学の加齢病態修復学講座の生理学教室が、プラズマローゲン研究の本拠地だという信念を崩していない。「問題はこれからだ。いまは山頂にプラズマローゲンという雨が降って、やっと小さな一筋の水路となって山麓に流れ始めたところ。これを大きな河にするには、まだまだ時間が必要だ」と藤野は考えている。プラズマローゲンは世界での知名度は低い。例えばアルツハイマー病研究で世界の最先端を行く医療大国のアメリカでサプリメントとしてプラズマローゲンを使用している数は微々たるもので、ごく少数の個人輸入者に限られている。

プラズマローゲン物語(59) 生涯一臨床医を貫く

福岡大学医学部を退職してから山田達夫は、カマチグループのスタッフになった。最初はカマチグループの所沢明生病院の院長をしていたが、「生涯一臨床医でありたい」という山田の意思が尊重されて、グループ内では新聞社でいう「遊軍」的な存在である。蒲池真澄が山田に期待したことは、「これからは認知症を学際的に攻めてください」のたったひと言だった。蒲池はこれまでの山田の認知症に関するキャリアと活動性を生かすには、そのポジションが一番適格だと思っている。

 いま山田は、順天堂大学医学部客員教授、明生リハビリテーション病院名誉院長の肩書はあるが、東京と宮崎県都城市で認知症の予防活動や認知症患者を診察する毎日である。都城市はかつての大分県安心院町のように市を挙げて認知症予防活動に取り組んでいるしNPO法人豊栄会も設立されているし、医療法人あたらしい風「ライフクリニック」のような認知症には画期的な医療機関もある。山田はそのライフクリニックの臨床医のひとりである。だから70歳になっても週4日は東京、あとの3日は都城市という忙しい生活を続けている。ときどき福岡市に立ち寄り藤野武彦と会うこともあるが、80歳の藤野が山田以上に忙しい毎日を送っているのに驚かされた。山田はタイのBNH病院グループを足掛かりにしてプラズマローゲンの海外進出が緒に就いたという知らせを藤野から聞いたときは、自分のことのように嬉しかった。福岡に来ると、7年前に世界で初めて福岡大学病院でプラズマローゲンの臨床試験をやったときの感動を改めてかみしめることができる。

あのとき以来、患者を診るときプラズマローゲンを手放すことはない。非薬物療法の信念は崩していないが、プラズマローゲンだけは例外である。MCIや認知症の患者を診察していて、山田が治療効果が得られたと実感するのは「患者がいつも心地よさそうに見え、孤立感や疎外感がなく、楽しい雰囲気の中で、情動記憶を利用して他社との関係性が再構築でき、感情は安定して、自己肯定感が高まることことに向けて治療がなされたとき」という考え方は今でも変わっていない。また「そのことを常にチェックしておいてください」と介護士には口が酸っぱくなるほど念を押す。MMSEが何点上がった、下がったにはあまりこだわらない。それには家族の評価が一番の目安になる。家族の評価が本人について「明るくなった」「行動も発言も前向きになった」「意欲的、気力が前に戻った」「声も大きく、話がしっかりした印象を受ける」「ぼーっとしていることが少ない」「積極的、動作が速くなった」「冗談が言える」「台所仕事をまめにする。身の回りの整理をするようになった」という評価が一つでもあると、報われた気がしてまたやる気が出る。

「今でも先生は週に6日も働いているんですか」と藤野に言われると、つい「いや、日曜日にも患者さんのことが心配になり出かけることもあります」と答えてしまうこともある。あわてて「誰もカバーしてくれる者がいないと、つい」と言い訳をしてしまう。「働きすぎですよ。いつまでたっても患者ファーストという点は、ますます蒲池君に似てきたようですね」と藤野は笑いながら言う。「いえ医者として貧乏性なだけですよ」と、また言い訳をしてしまうのが山田の悪いクセだ。

山田の今やっていることはまだプラズマローゲンの小さな川の流れといえる。だがこの小川の流れが止まってしまえば、海に流れ込む大河につながらないことを、藤野は自分自身も臨床医だけにいちばんよく分かっている。