BOOCSブログ
津波体験のお話
2012.03.27ブックスサイエンス
東日本大震災から1年、私たちの課題は何か
昨年2月8日、私どもはNPO法人BOOCSサイエンスを設立いたしましたが、その1か月余り後に未曾有の東日本大震災が発生し、産声をあげたばかりの微力なNPO法人に何ができるのかを厳しく問われ、共に真剣に探り合い、幾ばくかの取り組みをしてまいりました。
「ふたば幼稚園」では園児の無料受け入れをして頂き、関連施設での被災地からの母子の受け入れ、また同じく連携している医進系備校「若者未来塾」での被災 地受験生の1年間の無料受入れ並びにプレジデントホテル博多の受験生無料宿泊などを、BOOCSサイエンス・ホームページや行政機関を通して、また他の NPO法人などにも呼びかけ協力体制を取ってきました。
しかしこれらの取り組みが被災地の方々にはまだ十分に伝わっているわけではないということ、故郷を離れることがどれほど辛いことであるかということも実感させられました。
東日本大震災から1年を迎えるにあたって、昨年6月14日のBOOCSサイエンス懇談会でお話頂いた津波に遭遇した若者の体験談を掲載させて頂くことにいたしました。
私たちの今後の生きる方向を探る何らかの手がかりが得られればと願っております。
※出席者の中からたくさんの貴重な発言がありましたが、紙面の都合と趣旨をできるだけ簡潔にお伝えする上から、藤野代表理事以外はイニシャル表記か割愛しております。ご了承ください。
東北からのメッセンジャー 〜津波体験談〜
はじめに
藤野武彦:東北大震災後、現地に行ってきた医師達から、被災者センターに住んでいる方々は確実にメンタルに負担がきていて、集団生活がどれほど人を傷つけ、疲れさせ、「脳疲労」にしているかということを聴いています。
この「脳疲労」という問題は私が長年取り組んできたテーマであり、20年前にBOOCS(ブックス)理論を提唱して以来、その科学的実証に時間をかけてき ました。BOOCS(脳指向型自己調整法)とは,自己自身を変換するシステムであり、「人間の脳が変わると心が変わる」という哲学的、科学的変換のコンセプトです。
3月11日の大震災による様々な変化は天災ではなく人災であり、社会変革の為のメッセージとして受け止めていますので、私達のNPO法人ブックスサイエンスではこのような視点から、この問題に長期的なスパンで取り組んで参ります。
東北からのメッセンジャー
大手企業の若手営業マンとして活躍するMさんは、彼がボランティアで係わる少年サッカーチームの指導者として福岡のチームの見学に来られた際、彼自身の「3.11」の凄まじい地震と津波体験を語って頂きました。
若者らしい素直な感性で、今一度、“生き直す”ことを自らに問いかけながら淡々と話す姿勢に、東北から遠く離れた町に住む私たちに、いま何が出来るのかが問いかけられた気が致します。
その時の話の一部をMさんの了承を得て、ここに御紹介させて頂きます。
「目の前で・・・」
M さん:僕は、仙台の近くの街に営業に出かけていた時に、地震と津波を体験しました。1回目の地震がやってくる前、今まで聞いたこともないような携帯音が 鳴り響き、確認しようとした瞬間に揺れがきました。東京であればもう少し前で分かったのでしょうが、宮城県沖であったために早く揺れがやってきました。
津波警報が出ていましたが、さほど大きな津波にならないだろうと思い、車で帰ろうとしました。しかし激しい渋滞で、取りあえず様子を見てから帰ることを営 業先の方から勧められ、それが僕の命の分かれ目となりました。なぜなら、そのまま車に乗っていた人たちはみんな流されていったのです。
フリーズした脳
M さん:逃げている時は「早く!」としか考えられず、周りのことは何も見えませんでした。人が目の前で流されていくのをただただ見ているだけで、想像した ことすらないその光景に脳ミソがフリーズして何も考えられませんでした。暫く立ってから脳が動き始め、目の前の光景に怖くなり足が震え出し、強い不安に襲 われました。
その情景を見て最初は興奮していたので何ともなかったのに、しばらくしてから怖くなり、「これからどうなるのかな・・・」とか「家族はどうなったかな・・・」などと考えれば考えるほど、大きな不安に襲われました。
地震の前と後とでは・・・
M さん:地震の前と後とでは、家族を大切に思う気持ちの表現のし方が変わってきました。本来もっている素直な気持ちを言葉や態度で表に出せるようになって きたし、多くの人が今まで口にしなかったことを口にするようになりました。自分で意識出来ずにいた覆いがとれてきたのかもしれません。これまでは目の前の 困った人を助けるのも勇気のいることでした。でも震災前と後とでは明らかに、どちらが生きているかというのならば今の方が「生きている!」という実感があ ります。
週一回、ボランティアで子ども達のサッカーの指導をやっていますが、震災後、子どもたちが大人になったように感じます。今まで1 分も話を聞けなかった子が 最後まで話を聞こうとし、集まってサッカーが出来ることを心から幸せに感じているようです。失ったものばかりではなく、子ども達がすごく成長してきて、震 災が世の中に与えた影響は悪いことばかりではないように思います。
藤野:津波で妹を失い自分は助かったという小学生の男の子が、TVで「この体験を伝えねば・・・」と、子どもの言葉とは思えないような、まるでお坊さんであるかのごとく話しているのを聴いてびっくりしました。
子どもは、普段は(サッカーとか)大人から教えられる対象となっていますが、本来すべて完全な存在ではないでしょうか。今子ども達が急に成長したのではな く、たまたま津波によって“洋服”を脱いだだけで、“自分が何ものか?”という事に気付けただけではないかと私は思います。
取れた“囲い”
K さん:阪神淡路大震災の後も、人と人の交流において、それまであった囲いが取れて、すべて本来のものがつながったかのように感じましたが、それが今回の 東日本大震災では、もっと巨大なスケールで起こっています。近代化、西洋化された技術文明によって目隠しされてしまい、便利さのみを追い求めてきて自己中 心になっていましたが、それを目の前で一瞬にして崩されたことで、人が本来もっているものが蘇えってきただけなのかもしれません。
そして又・・・
M さん:しかし、元に戻る速度も速く、街では普通の生活に戻った人から又元に戻っていっています。会社も全く同じで、事務所は完全に崩壊し、それまでの (業績第一主義の)雰囲気が変わるのかと期待したのですが、やはり最近は元に戻ってしまいました。地震直後は、上司が「大丈夫か?」「どのようにして帰る の?」「食べるものはあるか?」と聞いてくれ、「この人がこんなことを言うなんて!」とびっくりする位に優しくなり何かが変わったと思いました。でも結 局、元に戻って「なんだ、この数字は!」と言うようになりました。一時的に過ぎなかったけれど、上に立つ人は仕方がないのかと諦めました。
ただ僕自身が今までと違うのは、上司にも率直にモノを言うようになり、ちょっとだけ変われたような気がします。以前は感じることもなかった日々の生活、行い、仕事、ありとあらゆるものに疑問だらけです。
「気づき」こそ
藤野:今、多くの人々が、「気付き」と「自分が変わる」という体験をしています。
人の役に立つというは人生最大の喜びだと思うのですが、通常の時にはそれが出来ずにいます。助けるのにも勇気がいるし、抵抗があります。皮肉なことに、地 震は全ての人たちに役立つことができるチャンスと喜びを与えてくれました。緊急事態とは生き直しのチャンスでもあるのではないでしょうか。
医 師の立場からみれば、「病気」は大震災を個別に味わう体験だと思います。病気を通して、それまで着ていた鎧を脱いで自分のもつ本来のもの(「魂」と表現 しておきます)に気付くという意味です。人が危機に陥った時の対応、例えばガンの初期、ガンが発見された時の茫然とフリーズした状態、「なぜ自分が?」と いう不安になり、絶望的になって、怒りになって、最後に落ち込み、そしてもう一度蘇ってくるプロセスを体験するのですが、これまで着ていた鎧を脱ぐ、つま り本来のものに気付くチャンスでもあり、生きるということは永遠にこういう事を体験していくわけです。
死ぬこと、生きること
M さん:今、生き残った僕が得だとか、流されていった人が可哀そうだとかいう気持ちはありません。「あゝ、生き残ったな」と思ったら、いろんな疑問がわい てきて、助かった自分を幸運だとは思えませんでした。「僕はこちら側にいて相手は流されていく、その差は何なの?」「僕と流された人との差は何なの?」と 今でも繰り返し思いますが、流されていく人を「助けたい!!」と思ったのに間に合わないと感じた時の気持ちは今も忘れられません。
「死の体験」から見えてきたこと
藤 野:それこそが本来の自己に気がつくことではないかと思います。幸運だとか、ラッキーだとかいうのは精神レベルのことで、通常の極限の中で「死」と言う ときは、肉体、精神、何ものかが一体となっているので、バラバラになるのではなく本来のものに還るのだから不幸であるはずがありません。その状況で、それ を経験し、何も感じないというのはそういうことなのでしょう。
私も若い頃、崖から車が転落したことがありますが、ゆっくり車が回転して落 下していくとき何の恐怖もありませんでした。ただ何かをじっと見ていただけでし た。ペシャンコになった車の中で、誰かの「車が爆発するぞ!」と言う声を聞き、狭い窓の隙間から這い出て夢中で崖を上ったのですが、その時初めて強い不安 に襲われました。しかし、自分一人だけではなく、他の人のことが気になった瞬間に救われました。同乗の重傷者に伴って病院に車で向かったのですが、私は重 傷者のお陰で自分自身の恐怖から救われていたのだと後になって思いました。
津波とはそのような個別の体験を集団でやっているのではないでしょうか。しかし、このような死の体験こそ人を生かすことにもなり、そのような体験のある人こそ、このような時代の社会変革者になり得るのではないでしょうか。
最近若い方々の意識が急に高まってきているように感じるのですが、目に見えないところで大きな変化が起こってきているのでしょう。パラドックス的ですが、目前に死を見ることができた人達こそ「軽やかに楽しく生きよ!」という事を伝えることが出来ると確信しています。
生き直しの“ゼロセット”
藤 野:未曾有の大震災(地震・津波・放射能汚染)を通して、人々は、「気付き」と自分が「変わる」という体験をしています。人を助けることは人生最大の喜 びだと思うのですが、通常の時にはそれが出来ず助けるのにも勇気がいるし、抵抗もあって本来の喜びを得ることが出来ずにいます。皮肉なことに、地震は全て の人に喜ぶチャンスを与えてくれています。リセット、ゼロセットという概念に似ていて、緊急事態とは生き直しのチャンスだと思います。
「軽やかに楽しく!」
今 回お会いしたMさんは、まさにそのようなことを私達に感じさせる爽やかな青年でした。死の体験から3カ月余りたったばかりの彼の最大の関心はサッカーで あり、少年サッカーチームに向ける熱い想いを語る彼の軽やかさに救われたのは私たちでした。そして、東北から遠く離れた福岡の街でも随所に「ガンバレ、東 北!」の張り紙が掲げられているのを見て「こんな遠くの町でも僕たちのことを支援してくれている人がいるのだと思ったら、胸がジーンとしてきて嬉しくなり ました」と素直に喜ぶ彼の言葉に、さらなる感動を与えて頂いたのは私たちの方でした。そして話を聞いた者たち一同深く心を揺り動かされるとともに、日々の 職場や暮らしの中でも“軽やかに楽しく!”生きていこうという誰にでもすぐに出来る本質的な生きる指針が心の中に温かく自然に湧いてきたのです。