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「いのちの放浪記抄」 いのちの原点から(1)

2022.12.04ブックスサイエンス

本ブログは、BOOCSサイエンス理事の川端國文氏が、2015年1月から2021年3月に福岡の詩誌「⽆」(ん)へ投稿した小品を「いのちの放浪記」と題して小説風に纏めたものの中から幾つかをトピック的に選び出して掲載したものです。
「いのちの放浪記抄 連載開始・目次」

いのちの原点から(1)

甚一は、ゆみこの霊前に祈りを捧げたあと、生物学の実験研究に疑問を抱き、暫くして友人の宮崎重治たちとスナック・シャングリラで語りあい、そこでスタッフのひとみに心惹かれていく。甚一は、ゆみこの霊前に祈りを捧げたあと、生物学の実験研究に疑問を抱き、暫くして友人の宮崎重治たちとスナック・シャングリラで語りあい、そこでスタッフのひとみに心惹かれていく。

永遠の今の煌めき

わたしは、宮崎と鬼丸たちとの話の余韻に浸りながら一人残って飲んでいた。ひとみはママさんと一緒に宮崎を戸口の外まで見送って、少したって戻ってきた。水割りを新しく作りなおして、ひとみはカウンターのわたしの前にそっと置いて話し始めた。

「甚君、さっきテニスやってるって鬼丸君たちと話してたの聞いたけど、わたしの弟もテニス部に入っとうとよ。高一なんやけど、まだ始めたばかり。もうすぐ新人戦があるけん、弟、真っ黒に日焼けして一生懸命練習してるみたい。甚君、今度弟にテニス教えてくれん?」

「ああ、いいよ。そのうちに機会あればね」とわたしは軽く適当にうなずいた。

「そしたら、次の日曜の午後はどうかしら?弟はその日は学校の行事で部活はないらしいけん」といきなりスケジュール調整の話になっていった。接客上の社交辞令的なお誘いの話かと思い、良い加減に「いいよ」と答えたが、ひとみからのお誘いは本気らしい。

「えーとね、僕はテニス部ではレギュラーやなかったし、テニスを人に教えるなんてとてもとても」と半信半疑で少々どぎまぎしながら答えた。

「弟には、何年もやってる先輩に鍛えてもらうだけでも刺激になるんやないかなと思って。わたしもついでにね」とさらりと言う。

 これには驚いた。シャングリラのみんなのあこがれのマドンナが、弟つきではあるが、わたしとテニスをしたいというのである。今夜は、鬼丸とは深い話ができたし、ひとみからは思いもよらないテニスのお誘いがあるなど大変なことになったなとドキドキした。わたしは平静を装って勘定を済ませ、次の日曜午後に大学キャンパスのはずれの手入れのあまり行き届いていない雑草に囲まれたテニスコートで会うことにした。

 

秋晴れの日曜午後三時半過ぎ、早めに来たわたしは、予想通りコートの周りがセイタカアワダチやオオアレチノギクなど雑草に包まれた二面の古くて少しデコボコのあるクレーコートの横で、ボード打ちしながらひとみたちを待った。ファントムが墜落してから素振りばかりで、ずっとコートに立ってやってなかったものだから、ずいぶん勘が鈍ってるなと思った。現役時代は、雨が降ったりして練習が一日でも出来なかったりすると明らかに勘の鈍りを自覚したものだった。打ち続けていると汗も結構出てきて、体が自然に動き始めたなと感じたころ、更衣室の方に目をやると、テニスウエアに着替えた二人がこちらにやって来る。

「場所、分りにくかったやろ。ここは古いテニスコートやから、結構空いてること多くてね。勿論予約なしたい。空いてるときは自由に使えるとが、ありがたかよね」

「キャンパスの外れにあるって言ってたからすぐわかったよ。これが、弟の慎二です」

 

弟の慎ちゃんは高一にしてはやや大人びた感じの涼しそうな眼をしたすらりとしたハンサムな少年である。白のテニス帽にポロシャツを着て薄いクリーム色の短パン姿がりりしく、まさに若武者の感がある。ひとみは、白のサンバイザーに純白のノースリーブのテニスウエアで、ミニスカートからは美しい白い脚が伸び、まばゆいばかりである。夜のシャングリラで見るあでやかなひとみとはまた違い、晴天の光に照らし出されたふっくらとした若い体が美しく輝いている。

 

次の一瞬、幻覚だろうか、金色や銀色、青色などの光がまるでオーロラのように煌めく中に、脚の骨肉腫で夭折した十八歳のゆみこの完全に甦った姿が現れた。美しいひとみの体を受容体にして、天から青春真っ只中のゆみこが異次元の光に包まれて、永遠の今、この瞬間、ここに転送され顕現したのだ。

「甚一さん、忘れないでいてくれたのね。ありがとう。ほら、見て、見て。わたしはみんなの祈りで、脚もこの通り大丈夫だし、すごく幸せよ。甚一さんは、自分が納得するまで大きな夢に向かってどんどんチャレンジし続けてね」という声が聞こえてくるような気がして、目頭が熱くなって来るのを感じた。

 

わたしはハッと気持ちを切り替え、先ずは三人一緒に準備運動と素振りをした後、慎ちゃんを相手に軽く打ち合った。綺麗な素直なフォームでほれぼれするものがある。このまま練習を重ねればかなり強くなるなと手ごたえを感じた。ボレーやスマッシュも、テニスを始めて半年とはとても思えないほどスマートである。わたしが何か余計なものを付け加える必要は全くない。むしろ慎ちゃんとのラリーを楽しませてもらっているといった感じなのである。

 

そのうち、ひとみも「一緒に入ってやりたい」というので、慎ちゃんとひとみを相手にしばらく打ち合ったが、ひとみも結構上手であった。コートの向こうでやや笑みをたたえて、ボールを追って軽やかに動くひとみの姿に目を奪われがちで、慎ちゃんからの速い返球の対応が遅れることしばしばで、わたしのミスが目立って来たようだ。しばらくして木陰のベンチで休憩することにした。爽やかな風を肌に感じながら、ひとみは左端に座り、慎ちゃんが真ん中で、わたしは右端に座った。

「ふたりとも上手やね。慎ちゃんが、高一でテニス始めてここまで上達しているとは、ななか筋がよかよ。ひとみちゃんも高校の時、テニスやってたんやね」

「うん。高二までやってたんやけど、いろいろ忙しくなってやめちゃった」

 

 流れる汗をタオルで拭き拭き、たわいもない話を聞いていた慎ちゃんが、気を利かせてか「ちょっと、トイレに行ってくる」とベンチを離れた。私は思いもよらない突然の事態で、白いテニスウエアの可愛らしいひとみと二人きりになってしまったものだからドギマギしてしまった。慎ちゃんが抜けた六十センチくらいの空間が何かしら意味深なものに感じられる。わたしは何を話してよいかわからずに、照れ隠しみたいにテニス部時代の話をし出した。

「夏の暑いころは、コートはフライパンのように熱かったなあ。焼けつくコートを一ゲームで二時間以上も走り回ってるんやから、吹き出た汗も乾いてしまって塩を吹いたような顔やったろうね。まさに『花も紅葉もよそにして、鍛えに鍛えた』って感じやったな」

 

するとひとみが、そんなわたしの照れてる気持ちを察してか、わたしの方に少し寄って、話の流れとは全く関係なく,いきなり

「手相観れる?」といって白く柔らかそうな手をわたしの方に差し出した。その時、風の流れに乗ってほんのりと甘酸っぱい香りが漂ってきた。

「手相とか観れるわけなかろうもん」と、わたしはぶっきらぼうに言って、青空を見上げて一呼吸した。

その時は、ひとみがどんな気持ちだったのか全く鈍感で、先ほどのテニスの話の続きである。間もなくして慎ちゃんが戻ってきて、ひとみとわたしの間にすっと座った。ほっとしたような、残念なような気持ちであった。

「もう少し、ラリーお願いします」と慎ちゃんが言うので、わたしはさっきの緊張感を解き放つような気持ちで、しばらく三人で軽く打ち合った。

 

 テニスでひと汗かいた後の「秋の黄昏時は、実にさわやかだ」と言いたいところだが、どっこい、コート整備を終えた帰り際、鈍感なわたしにも、ひとみの表情にいつもの笑みが無く、何か寂しそうな表情だったのが気になった。しかし、「ちょっと話足りなかったからだろう」というくらいに軽く考えて「それじゃ、またね」と一言いうだけで、ひとみの胸の内を深く感じとれるはずはなかった。