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「いのちの放浪記抄」 いのちの原点から(3)

2022.12.25ブックスサイエンス

本ブログは、BOOCSサイエンス理事の川端國文氏が、2015年1月から2021年3月に福岡の詩誌「⽆」(ん)へ投稿した小品を「いのちの放浪記」と題して小説風に纏めたものの中から幾つかをトピック的に選び出して掲載したものです。
「いのちの放浪記抄 連載開始・目次」

追憶の恋と反復の恋

少し酔いが回ってきたとはいえ宮崎は、話をそらすことなく更にキェルケゴールの「反復」の話を続ける。

「キェルケゴールはレギーネという美しい娘と愛し合い婚約したんだけどね、深く考えるところがあり、一方的に婚約破棄するんだ。実は、この破棄する理由が僕にはよく分らないんだけど、婚約破棄の理由も告げられなかったレギーネはたまらないよね。嘆き悲しみ、そして間もなく別の男性と結婚してしまうんだ。僕が思うに、キェルケゴールはレギーネをほんとに深く愛してたんだけど、単にレギーネを自分のものにしたりとか、お互いをこの世的な結婚という形に縛り合うことではなく、そのような次元の愛を完全に打ち破り、神から与えられる真実の愛として受け止め直そうとしたんじゃないのかな。この世的なものとは違った形のそのような愛を、あえて『反復の恋』といったのかもしれないね」

 

 わたしは宮崎の話に吸い込まれて行ったのだが、気持ちを新たにして、以前読んだことのある「創世記」二十二章の有名な箇所のことを連想していた。

「うーん、そうかぁ。今の婚約破棄の話は、アブラハムが神から奇跡的に授かった独り子イサクを燔祭として捧げるように言われたことになんか通ずるような気がして来るんだよな。父親としてアブラハムは苦しんだ末、神が与えたイサクなんだから、神から捧げるように言われればそうするしかないと受け止めたのか、刃物を取り実際にイサクに手をかけようとしたんだよね。だけど、確かその時、木の茂みに角をひっかけた雄羊が現れて、それを身代わりとして捧げるよう天の使いが告げたので、イサクに手をかけることを踏みとどまり、雄羊を代わりに燔祭として捧げたという話だったと思う。それで、可愛い独り子さえも、神の言葉に素直に従い捧げようとしたというので、アブラハムは神から祝福され豊かな財産や子孫に恵まれて行くんだよね。つまり自分の所有観念を放ち、天意に素直になれば、そこには物心共に豊かな世界が広がっているということなんだろうかなあ」

 

 宮崎は、思いもかけないアブラハムの話に関心を示した。

「ふーん、反復の恋の話が、アブラハムがイサクを捧げようとすることに繋がるのか。これは面白い」

 しかし、わたしの中では、アブラハムがイサクを捧げようとした時の心境とキェルケゴールがレギーネとの婚約を破棄した時の心境が、同じカイロス的時間の中のことだったのか一瞬疑問が走ったのでそのまま出してみた。

「ということは、キェルケゴールは自分の想いの中のレギーネを婚約破棄という行為で大いなる存在に捧げることにより、レギーネとの『真実の愛』として受け止め直そうとしたということだろうか。だけど、ちょっと気になったのは、アブラハムは神から言われて苦しんだあげく、神の言葉に従ってイサクを燔祭として捧げようとしたんだけど、キェルケゴールの場合はその辺りはどうなんだろうね。神の言葉を聴いたわけではなく、ただ自分の一方的な思い込みから発して、レギーネとの婚約を破棄することで、勝手に自分の理想を神に要求しているような気もするんだけどね」

 

宮崎は、おもむろに応えた。

「僕はね、キェルケゴールは自分の中の『純粋な心の声』を聴き分けながら、婚約破棄すべきかどうか悩み抜いた挙句の決断だったと思う。その『純粋な心の声』が、神の声だったのか、単なる思い込みだったのか、妄想だったのかは誰にもわからないけどね」

 わたしも、『純粋な心の声』が、神の声だったのかもしれないなとは思いながらも、まだ少し残る疑問を更に宮崎にぶっつけてみた。

「キェルケゴールは、自分が願っていたレギーネとの『反復の恋』を受け止め直すことが叶わなかったと思い、悲嘆に暮れたわけだよね。だからキェルケゴールが聴いたと思った自分の中の『純粋な心の声』は、神の声でもなんでもなく単なる自分の思い込みでしかなかったんじゃないのかな」

 

 宮崎は少し戸惑っている感じで、水割りをごくりと飲んで言った。

「なるほどねえ。確かにそうとも言えるかもしれない。だけどね、キェルケゴールは確かにレギーネとは結婚できなかったんだけど、この破局こそが彼に詩人の心を生み出したし、更に創造的なエネルギーを与え、歴史に残る優れた作品を後世に送り出したんだと思う。だから、ひょっとしたらこれこそ彼が違った形で受け止め直した『反復の恋』の賜物じゃなかったのかなと思うんだ」

 

ママが、少し目を潤ませて言葉をはさんだ。

「素晴らしいお話だと思う。だけどね、女の側からすると、いきなり婚約破棄なんて、それまで二人が愛し合ってたことを考えると残酷すぎます。レギーネがかわいそう。彼女を愛してるから婚約破棄するなんてそんな理屈、普通の女にはわかりませんよ。深い理由がなにかあるんでしょうが、婚約破棄する前に、彼から彼女に分かるまで何回も話してほしかったと思いますよ。納得も出来ず一方的に結婚への夢を破られると、女性の方はとてもたまりません。だから、そんな絶望のどん底にあるときに、女の人は別の立派な男の人からプロポーズされると、もう受けてしまうでしょうね。もちろん、失恋した男の人の方も辛いでしょうし、お店では浴びるようにやけ酒を飲んで別れた彼女のことを忘れようとする男の人はたくさん見て来ましたけど、キェルケゴールという方みたいに、苦しみのどん底から這い上がってそのエネルギーをすごいことに活かす人もいるんですね」

 

このわたしはといえば、失恋して浴びるようにやけ酒を飲んでいる方の男に過ぎないのだが、宮崎の語るキェルケゴールの「反復の恋」の話に心が洗われて行くような気がしていた。ひとみがシャングリラを去ったことに落ち込み悲しんでいたが、宮崎の話から、更にゆみこへの過去を美化しようとする「追憶の恋」から解き放たれ、受け止め直すことが促され、そしてひとみによって現実に着地させてもらい、やっと心が前向きに動き始めたのだと気付かされた。そしてまだ「反復の恋」の次元には遙かおよびもつかない自分の程度だなと痛感した。

苦い酒が、丁度心地よい酒に変化し始めていた頃合いに、別の客がやって来た。ママはその対応に一人で追われていたので、わたし達はこのあたりで「また会おうぜ」と勘定を済ませ帰ることにした。