BOOCSブログ
「いのちの放浪記抄」 生命探究 いのちに問う(2)
2023.01.17ブックスサイエンス
本ブログは、BOOCSサイエンス理事の川端國文氏が、2015年1月から2021年3月に福岡の詩誌「⽆」(ん)へ投稿した小品を「いのちの放浪記」と題して小説風に纏めたものの中から幾つかをトピック的に選び出して掲載したものです。
「いのちの放浪記抄 連載開始・目次」
「いのちの放浪記抄 連載開始・目次」
機械論からの落ちこぼれ
数日後、わたしは、所属していた研究室のゼミの後、古市俊太郎教授に迂闊にも生物の研究をこれからどうしたものか決断する前に相談に行ってしまったのである。というのは、古市教授にそのような悩み事を相談に行けば、恐らく厳しく叱られるに決まっているからである。実験科学の分野に限らないだろうが、一般的に教授になるには、厳しい徒弟制度にも似た講座制の中で辛抱し修行を積み、学位を取って研究者の階段を一段一段昇り、長年取り組んできた研究実績がたまたま実り、教授会や学会からその成果が認められ、更に運よく教授のポストが空いていた場合など、ほとんど僥倖によるものであって、人格が優れているとか指導力に秀でているとかとは殆ど関係がないのだ。
確かに古市教授は教育者ではなく、自らの研究テーマに打ち込み論文を稼ぎ、名誉をひたすら求めて熾烈な競争を勝ち抜いて行こうとする上昇志向の学者タイプの人物である。一見ソフトで紳士的に見えるし、言葉のやり取りも卒がないのだが、話が核心に触れるとなかなか頑固で殆ど譲ることがない。とはいっても、古市教授のその一徹さの裏にはいつも何か充たされない悲哀が感じられ、どうしても憎めないところがあるのだ。話してみると、こちらが期待している言葉ではなく、違う角度からの答えが返ってくるので、結構議論が白熱し面白いこともたまにはある。
しかし彼の名誉欲や業績主義は、長く彼自身を苦しめて来ただけではなく、どれほど多くの人を巻き込み不愉快な気持ちにさせてきたのだろうか。例えば、古市教授は、飲み会などの席で酔いが回ると口癖のようによく言ったものだ。
「わしが発表した論文が、ほんの僅かなタイミングの差でイギリスの若手研究者に先を越されてしまったんだ。ノーベル賞を逃してしまったんだぞ。君たちには、この悔しさがわからんだろう」
教授は、これまで優れた多数の論文や専門書も出していて、学者としては成功者であるといってよいのだが、それがノーベル賞をとれなかったというだけで、何故にそこまで暗い気持ちを長年引きずらねばならないのか、確かによくはわからない。教授がノーベル賞を取れなくてニヒルになったのは、恐らくノーベル賞という魔物に支配されていたからではないのかとわたしたち学生は思っていたものだ。
フランスの哲学者サルトルは、ノーベル文学賞を辞退しているのだが、受賞辞退の理由を「私は今までも正式な名誉は断ってきました。・・・たとえもっとも名誉あるものであったとしても、作家である私自身を確立された存在に変えてしまうことは拒むべきことである」と述べている。日本では川端康成がノーベル文学賞を受賞したが、「作家にとって名誉などというものは、かえって重荷になり、邪魔にさえなって、委縮してしまうんではないかと思っています」と語っており、受賞の二年後に、その真相は謎とされているのだが自殺をしている。そのような名だたるものに魔物が潜んでいるにもかかわらず、文学の世界とは違うのだが科学者古市教授は、最高峰の名誉を求めて研究者生命をかけ続けたのだが、ほんのわずかの差で手にすることができなかったことを悔やみ、自分の気持ちをずっと暗く落ち込ませて来たのである。取っても取れなくてもノーベル賞というものは、それに囚われてしまった人を、こんなにも苦しめてしまうものなのか。わたしは、そのような苦汁をなめて来た教授に、彼にとっては全く取るに足らない青臭い相談をしてしまったのだ。
「実は、今進めている昆虫の神経生理学の実験研究は、研究をやればやる程、何かしら自分が求めていることから遠ざかって行くような気がして、これからどうしようかなと考えているところなんですが」
「うむ。君は、自分は生き物が好きであることと、いのちの不思議さをもっと知りたいということでこの研究室に来て、昆虫の脳のメカニズムを調べたいと言ってたんじゃなかったのか」
「は、はい。そうですが、なんというか記憶とか脳の神経活動のメカニズムを、実際、昆虫を実験材料にして行動観察や生理学的、生化学的に調べてみても、現象的なことは分かっても、僕には一向に生命の本質に迫ってる感じがしないんです」
「うーん。しかし、果たしてそうだろうか。現代生命科学は、われわれ人間も含めてすべての生き物が、自動機械であるとして捉え、体の各器官の働きを物理化学的に生化学的に物質の動態として詳細に調べ、そこに隠されている法則を見出すことに成功していることは君も良く知ってるはずじゃないか。喜怒哀楽や記憶や学習・知能活動なども、神経細胞間のネットワークや神経伝達物質の種類や分泌量などの違いを調べることで随分真相がわかってきている。だから、さらに高度な精神活動についても神経伝達物質や神経回路の電気現象としていずれ全貌が解明されるはずだ。実にこの機械論的アプローチこそ、生命の本質に最も迫っているとわしは確信しているんだ」
「えーと、確かに生命科学という学問は、実験観察や数理的考察を重ねて、生命現象の一つ一つを詳細に解明していく知的認識活動ですから、先生がおっしゃるように約860億個の人間の脳細胞による意識とかの高度な精神活動もいずれ全貌が科学的に説明できるのかもしれません。でも、脳の働きの全貌が科学的に説明できたとしても、現在の世界人口80億人という人間の脳の中でなぜ自分の頭骸骨の中にあるこの一個の脳のシステムを自分だと認識するのかとか、自分という意識が何故地球上に生まれてきたのかという問いにはすごく距離があり過ぎて、どうしたらよいのか疑問を持っているのです。恐らく、僕が求めている生命観は、例えば禅の高僧が厳しい修行を経てすべての囚われから放たれ、自分と他者や大自然との境が無くなり大きな生命の環に融け合う悟りの境地のようなものを、宗教の枠組みにも囚われず、誰でもただ素直になりさえすれば触れることができるような生命の本質を求めているんです。だから機械論的生命観の目指す方向と、『いのちの本質』に触れたいとか、『生命の環』に連なりたいといった僕の欲求とは次元が全く違うのではないかと思っているんです」
「なるほど。ある生理学者は、『悟りの境地』ということについてこう言っている。それは、脳内の神経伝達物質のドーパミンやノルアドレナリンをセロトニンが調整をはかり、それらのバランスがとれた状態ではないかとするのだが、そのような視点は面白いけれども、その見解は甚だ浅いと思う。それは心の平静状態ではあっても、あえて言うならば禅でいう『小我』のレベルの出来事にすぎないからだ。だが、残念なことに生命科学が取り扱える範囲はここまでではないのかとわしは思う。恐らく君の言う『悟り』とは『大我』の境地のことだろうから、そのような次元に属することについては、生命科学に携わる者としては『不可知の領域』のこととし、素直にその厳粛な境界線の前にひれ伏し服従するしかないのだと思っている。しかし、もちろん現在分らないからといって、何ら形而上学的な問題にすり替える必要はないのではないか。今はわからないがいずれ分るかもしれないものと、わしは棚上げしておきたいのだ。いや、わからなくても、将来はどこまで進歩するか知らないが、それは現代の生命科学の対象外のことなので、今を生きる研究者として一向に困ることはないのだからな。つまり、学問をひとたび志す者は、このような理不尽極まりない禁欲を自らに課す覚悟ができるかどうかということだ」
「しかし、先生は生命のもう一つの側面をそこまで感じ取っておられるのに、一個の人としてそれを放棄されるのはなぜなのですか」
教授は即座に毅然とした態度で、厳しく言い放った。
「わしは、科学に身を捧げたのだ。科学的に観察しデーターで実証できないような認識不可能なものに関わることは科学者として逃げでしかなく、時間の無駄だと自分に言い聞かせて、そのような誘惑をきっぱりと捨て去ったからだ。もう一度君に言っておくが、研究者たるもの、いろんなことに興味を持ちすぎてはいかん。学問を究めることは至難の業だ。昔から言われていることだが、わしはこの年になっても、『少年老い易く学成り難し』というこの言葉が骨身に染みる。どんな研究分野であろうと、これまでのその分野の歴史と学問体系をマスターするだけでもどれほど大変なことか。そして、そこからオリジナリティのある研究を遂行し、論文に纏めるのは並大抵のことではないのだ。専門分野の第一線では世界の研究者たちが、一歩先を争って鎬を削っているではないか。それほどの苦労をして実験を重ね論文にしたとしても、科学誌掲載論文審査のレフリーから却下されることもある。だから、わしは『この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ』という言葉を、若いころから自らに言い聞かせている。一つのことに四六時中打ち込んでも研究が稔るかどうか何の保障もないわけだからな」
「一切の希望を捨てよ」というこの言葉は、ダンテの「神曲」地獄篇の地獄への入り口の門の頂きに記されているとされる銘文である。わたしは古市教授の考え方を聞いて、さすが教授は現代生命科学に人生をかけることに徹しているな、すごいなと尊敬する気持ちと、一方、生命の本質を探るには必ずしも現在主流の機械論的生命観に立たない「落ちこぼれ」もいてよいのではないかとも思った。そして、わたしはいつの間にか地獄の門の入り口の前に立っていたのか、とんでもないところに来たものだと不安にもなってきた。
古市教授の見解は、学者としては恐らく正論だろう。教授の論理が勝り、わたしは完全に敗北したのだが、心の中ではますます違う気持ちが鮮明になって来るのだ。わたしには、年を重ねた教授ほどに物事の道理がわかろうはずはないし、わからなくても良いとすら思った。教授のこれほどの言葉ではあるが、どうしてもそれには素直になれなかったのだ。それは、自分が聞き分けのない身勝手な者だからなのか、あるいは必死になって自分の心の中の声を素直に聴こうとしていたからなのだろうか。自分は自分だ。自らの納得できる道を進むのなら失敗しても良いではないか。わたしは教授室を出る時、研究室の狭い講座制の「蛸壷」の中で真理探究の旗のもとに上昇志向に染められて、砂をかむような研究に関わっている今の自分の心の中に隙間風が吹き始めているのを感じていた。
確かに古市教授は教育者ではなく、自らの研究テーマに打ち込み論文を稼ぎ、名誉をひたすら求めて熾烈な競争を勝ち抜いて行こうとする上昇志向の学者タイプの人物である。一見ソフトで紳士的に見えるし、言葉のやり取りも卒がないのだが、話が核心に触れるとなかなか頑固で殆ど譲ることがない。とはいっても、古市教授のその一徹さの裏にはいつも何か充たされない悲哀が感じられ、どうしても憎めないところがあるのだ。話してみると、こちらが期待している言葉ではなく、違う角度からの答えが返ってくるので、結構議論が白熱し面白いこともたまにはある。
しかし彼の名誉欲や業績主義は、長く彼自身を苦しめて来ただけではなく、どれほど多くの人を巻き込み不愉快な気持ちにさせてきたのだろうか。例えば、古市教授は、飲み会などの席で酔いが回ると口癖のようによく言ったものだ。
「わしが発表した論文が、ほんの僅かなタイミングの差でイギリスの若手研究者に先を越されてしまったんだ。ノーベル賞を逃してしまったんだぞ。君たちには、この悔しさがわからんだろう」
教授は、これまで優れた多数の論文や専門書も出していて、学者としては成功者であるといってよいのだが、それがノーベル賞をとれなかったというだけで、何故にそこまで暗い気持ちを長年引きずらねばならないのか、確かによくはわからない。教授がノーベル賞を取れなくてニヒルになったのは、恐らくノーベル賞という魔物に支配されていたからではないのかとわたしたち学生は思っていたものだ。
フランスの哲学者サルトルは、ノーベル文学賞を辞退しているのだが、受賞辞退の理由を「私は今までも正式な名誉は断ってきました。・・・たとえもっとも名誉あるものであったとしても、作家である私自身を確立された存在に変えてしまうことは拒むべきことである」と述べている。日本では川端康成がノーベル文学賞を受賞したが、「作家にとって名誉などというものは、かえって重荷になり、邪魔にさえなって、委縮してしまうんではないかと思っています」と語っており、受賞の二年後に、その真相は謎とされているのだが自殺をしている。そのような名だたるものに魔物が潜んでいるにもかかわらず、文学の世界とは違うのだが科学者古市教授は、最高峰の名誉を求めて研究者生命をかけ続けたのだが、ほんのわずかの差で手にすることができなかったことを悔やみ、自分の気持ちをずっと暗く落ち込ませて来たのである。取っても取れなくてもノーベル賞というものは、それに囚われてしまった人を、こんなにも苦しめてしまうものなのか。わたしは、そのような苦汁をなめて来た教授に、彼にとっては全く取るに足らない青臭い相談をしてしまったのだ。
「実は、今進めている昆虫の神経生理学の実験研究は、研究をやればやる程、何かしら自分が求めていることから遠ざかって行くような気がして、これからどうしようかなと考えているところなんですが」
「うむ。君は、自分は生き物が好きであることと、いのちの不思議さをもっと知りたいということでこの研究室に来て、昆虫の脳のメカニズムを調べたいと言ってたんじゃなかったのか」
「は、はい。そうですが、なんというか記憶とか脳の神経活動のメカニズムを、実際、昆虫を実験材料にして行動観察や生理学的、生化学的に調べてみても、現象的なことは分かっても、僕には一向に生命の本質に迫ってる感じがしないんです」
「うーん。しかし、果たしてそうだろうか。現代生命科学は、われわれ人間も含めてすべての生き物が、自動機械であるとして捉え、体の各器官の働きを物理化学的に生化学的に物質の動態として詳細に調べ、そこに隠されている法則を見出すことに成功していることは君も良く知ってるはずじゃないか。喜怒哀楽や記憶や学習・知能活動なども、神経細胞間のネットワークや神経伝達物質の種類や分泌量などの違いを調べることで随分真相がわかってきている。だから、さらに高度な精神活動についても神経伝達物質や神経回路の電気現象としていずれ全貌が解明されるはずだ。実にこの機械論的アプローチこそ、生命の本質に最も迫っているとわしは確信しているんだ」
「えーと、確かに生命科学という学問は、実験観察や数理的考察を重ねて、生命現象の一つ一つを詳細に解明していく知的認識活動ですから、先生がおっしゃるように約860億個の人間の脳細胞による意識とかの高度な精神活動もいずれ全貌が科学的に説明できるのかもしれません。でも、脳の働きの全貌が科学的に説明できたとしても、現在の世界人口80億人という人間の脳の中でなぜ自分の頭骸骨の中にあるこの一個の脳のシステムを自分だと認識するのかとか、自分という意識が何故地球上に生まれてきたのかという問いにはすごく距離があり過ぎて、どうしたらよいのか疑問を持っているのです。恐らく、僕が求めている生命観は、例えば禅の高僧が厳しい修行を経てすべての囚われから放たれ、自分と他者や大自然との境が無くなり大きな生命の環に融け合う悟りの境地のようなものを、宗教の枠組みにも囚われず、誰でもただ素直になりさえすれば触れることができるような生命の本質を求めているんです。だから機械論的生命観の目指す方向と、『いのちの本質』に触れたいとか、『生命の環』に連なりたいといった僕の欲求とは次元が全く違うのではないかと思っているんです」
「なるほど。ある生理学者は、『悟りの境地』ということについてこう言っている。それは、脳内の神経伝達物質のドーパミンやノルアドレナリンをセロトニンが調整をはかり、それらのバランスがとれた状態ではないかとするのだが、そのような視点は面白いけれども、その見解は甚だ浅いと思う。それは心の平静状態ではあっても、あえて言うならば禅でいう『小我』のレベルの出来事にすぎないからだ。だが、残念なことに生命科学が取り扱える範囲はここまでではないのかとわしは思う。恐らく君の言う『悟り』とは『大我』の境地のことだろうから、そのような次元に属することについては、生命科学に携わる者としては『不可知の領域』のこととし、素直にその厳粛な境界線の前にひれ伏し服従するしかないのだと思っている。しかし、もちろん現在分らないからといって、何ら形而上学的な問題にすり替える必要はないのではないか。今はわからないがいずれ分るかもしれないものと、わしは棚上げしておきたいのだ。いや、わからなくても、将来はどこまで進歩するか知らないが、それは現代の生命科学の対象外のことなので、今を生きる研究者として一向に困ることはないのだからな。つまり、学問をひとたび志す者は、このような理不尽極まりない禁欲を自らに課す覚悟ができるかどうかということだ」
「しかし、先生は生命のもう一つの側面をそこまで感じ取っておられるのに、一個の人としてそれを放棄されるのはなぜなのですか」
教授は即座に毅然とした態度で、厳しく言い放った。
「わしは、科学に身を捧げたのだ。科学的に観察しデーターで実証できないような認識不可能なものに関わることは科学者として逃げでしかなく、時間の無駄だと自分に言い聞かせて、そのような誘惑をきっぱりと捨て去ったからだ。もう一度君に言っておくが、研究者たるもの、いろんなことに興味を持ちすぎてはいかん。学問を究めることは至難の業だ。昔から言われていることだが、わしはこの年になっても、『少年老い易く学成り難し』というこの言葉が骨身に染みる。どんな研究分野であろうと、これまでのその分野の歴史と学問体系をマスターするだけでもどれほど大変なことか。そして、そこからオリジナリティのある研究を遂行し、論文に纏めるのは並大抵のことではないのだ。専門分野の第一線では世界の研究者たちが、一歩先を争って鎬を削っているではないか。それほどの苦労をして実験を重ね論文にしたとしても、科学誌掲載論文審査のレフリーから却下されることもある。だから、わしは『この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ』という言葉を、若いころから自らに言い聞かせている。一つのことに四六時中打ち込んでも研究が稔るかどうか何の保障もないわけだからな」
「一切の希望を捨てよ」というこの言葉は、ダンテの「神曲」地獄篇の地獄への入り口の門の頂きに記されているとされる銘文である。わたしは古市教授の考え方を聞いて、さすが教授は現代生命科学に人生をかけることに徹しているな、すごいなと尊敬する気持ちと、一方、生命の本質を探るには必ずしも現在主流の機械論的生命観に立たない「落ちこぼれ」もいてよいのではないかとも思った。そして、わたしはいつの間にか地獄の門の入り口の前に立っていたのか、とんでもないところに来たものだと不安にもなってきた。
古市教授の見解は、学者としては恐らく正論だろう。教授の論理が勝り、わたしは完全に敗北したのだが、心の中ではますます違う気持ちが鮮明になって来るのだ。わたしには、年を重ねた教授ほどに物事の道理がわかろうはずはないし、わからなくても良いとすら思った。教授のこれほどの言葉ではあるが、どうしてもそれには素直になれなかったのだ。それは、自分が聞き分けのない身勝手な者だからなのか、あるいは必死になって自分の心の中の声を素直に聴こうとしていたからなのだろうか。自分は自分だ。自らの納得できる道を進むのなら失敗しても良いではないか。わたしは教授室を出る時、研究室の狭い講座制の「蛸壷」の中で真理探究の旗のもとに上昇志向に染められて、砂をかむような研究に関わっている今の自分の心の中に隙間風が吹き始めているのを感じていた。