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「いのちの放浪記抄」あらすじ その2

2022.11.13ブックスサイエンス

本ブログは、BOOCSサイエンス理事の川端國文氏が、2015年1月から2021年3月に福岡の詩誌「⽆」(ん)へ投稿した小品を「いのちの放浪記」と題して小説風に纏めたものの中から幾つかをトピック的に選び出して掲載したものです。
「いのちの放浪記抄 連載開始・目次」

≪上昇志向から決別、真実の世界は足下に≫

第三章 下へ昇る

その後、宮崎や鬼丸、伊藤たちはそれぞれの道に踏み出して行く。しかし、甚一は激しい時代の波に押し流され何処か離れ小島に一人取り残されてしまったような不安と無力感に陥り、暫らく部屋に引きこもっていた。やがて、大学闘争の敗北や機械論的生命観からの脱落を自らのうちに潔く認め、常識の世界では完全敗北であっても、常識的敗北こそ勝利だと実感できる非常識の世界が必ず来るはずだと気を取り直す。つまり上昇志向から決別し、「下へ昇る」生き方へ転換しようとするのだ。そこで哲学専攻の伊藤が話していた「理想郷」を目指す「晨睦みの里」に行き、7日間に渡って開催される禅問答のような「調和即践の会」に参加することを思い立つ。

「晨睦みの里」では、村づくりを草創期から進めて来た不思議な大森老人と出逢う。老人は人が共に生きるうえで重要な、心の世界に渦巻く怒りや憎しみ、妬み、思い込みなどの観念からの解放や、組織が陥りがちな建前論や忖度、依存などの越えがたい困難な課題にどう取り組んでいるかなどについて語る。

村での研修作業の一つとして、甚一は養鶏部で段取り係の千鶴の手ほどきを受けながら鶏の世話に携わる。そして養鶏部の個性的なメンバーたちとの交流が始まって行く。また豊かな食生活を味わい、村の「睦み温泉」では、体を洗うだけではなく心の垢も洗い流し「空」の心境を会得しようとするなどの村の生活体験を日々重ねて行く。
やがて七千羽のヒヨコの世話を担当し、その仕事に没頭している時、「調和即践の会」で出逢った理沙が幼児たちを引率して見学にやって来る。甚一は、その時は鶏舎の中で作業をしながら、短く理沙と何気ない言葉を交わすだけだった。

みかんやスモモの花が開くころ、村の果樹園で職場交流の野外食の集いが行われた。その場で甚一たちは「若者即践部」の高岡啓介から、村の今後に向けて長老たちによって世代交代や経営面の仕組みの見直しなどが話し合われていることを聞く。それを受けて、それぞれが思いのほどを出し合い、労働の報酬は周りに役立っている手応えなどであって、賃金とは別次元のものではないかとか、村の生活信条は「無くて当たり前」の道を生きることではないかと話が展開していく。

半年ほどたってヒヨコは成鶏となり、初卵を産んだことを千鶴に報告し一緒に喜び合う。この嬉しさを理沙にも伝えたいと思い、甚一は近くの「どんぐりの森公園」で理沙と待ち合わせする。ここで初めてお互いのことなど楽しく語りあう。話すうち甚一はますます理沙の可愛らしさと素直な自由な心に魅かれて行く。そして、理沙が他の誰かと付き合ってはいないことを、ぎこちないやり取りを通してではあるが、確かめることができほっとする。

第四章 カイロスの時

それから暫らくして、若者即践部メンバーによる「みかん収穫作業」があった。その帰り道、理沙と同僚の幼児係の広恵と三人で歩きながら話している時、甚一は突然広恵から理沙のことをどう思っているか問いただされ戸惑うが、「男は好きやったら、『その時』が来れば、自分から言うもんや」と言って、なんとかその場を切り抜ける。

一方、村の今後をどう変革して行くかについて長老たちの話し合いに一定の方向性が出され、それを受けて風雲急を告げるかのような「村人集会が開かれた。四十~五十代の中堅どころの村人たちの決意表明が次々となされる。例えば、循環型の六次産業の経営体でもある村の各職場環境の改革を述べたり、世界の各地での子ども達の飢えや貧困・病などの救済を訴えたり、それらの原因の一つとなっている戦争や地球環境破壊のもとである人間の様々なゆがんだ観念からの解放が急務であることが語られた。発表を聞いて若者即践部の一人一人が感想を述べあい、今後の為すべきことなどを考え合う。

次の日、甚一は大森老人に会いに行き、今後の村のやるべきことや、人間社会の将来などについて尋ねる。老人は、「もしこの村を『これこそ絶対正しいし理想的組織だ』と村人たちが思い込むと、その観念がやがて拡大し組織を疲弊させ、崩壊に導く。だから形あるものは絶えず果敢に変革し、心の世界においては様々な囚われからの解放が必要である」と説く。確かに人類は宿命的な根本的矛盾の領域で生きるしかないのかもしれない。にもかかわらず、大森老人は美しい夕陽の向こうに目をやりながら、既に到来している「地上の楽園」の輝きを見ているかのようであった。

高岡啓介に呼び出されて、甚一は村人ロビーの奥の別室で啓介が理沙にそれとなく振られたことを聞かされる。そして理想の村づくりを目指している自分たちの取り組みなど、再度顧みながら語りあう。啓介は以前読んだカラマーゾフの兄弟の「大審問官の伝説」を取り上げ、再臨したキリストが何故年老いた大審問官に口づけしたのか、その意味がさっぱり分からないと言う。二人は理想社会をつくるにあったって絶えず発生してくる、パンを得ることと自由であることとの避けがたい矛盾点を解く鍵を「キリストの口づけ」の意味の中に探って行こうとする。

晩秋の夕暮れ時、甚一は「どんぐりの森公園」で、理沙と会い、大森老人から聞いた「真実の社会はもう既にあって、殆どの人は見ようとしないだけで、実はみんな今、楽園に住んでいる」という話をする。そして、甚一は自分も何か仕事をしながら、形に拘らずに、心は楽園に住んでいる実感を深めたいと言う。理沙から自分のことをどう思っているのか聞かれるが、まだ「その時」ではない気がすると答え、「その時」が来れば必ず連絡すると理沙に告げ、「下へ昇る」生き方を目指し一人東京へ向かう。